性教育は神聖なものであるべき

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family with babies

どんな親も子どもには、自分以上に幸せになってほしいと願います。

ところで、その子どもの出発点はどこでしょうか。 それは夫婦です。

夫婦が愛の営みをした結果、子どもが生まれます。

当たり前のようですが、子どもの原点はそこにあります。

夫婦の営みは命を生み出す崇高な行為なのです。

こんな風に考えてみると夫婦愛の行為と いうものは
神聖なものといわざるをえませんね。

これが現代はこのモラルにどんどんブレが生じて結婚や、
男女の関わりに深刻な影を投じています。

夫婦が愛し合って生命が誕生する。という考え方、
つまりモラルを中心軸にした 教育を
学校や社会が教えていません。

雑誌やマスコミ、メディアの情報はかえって
男女間のモラルを腐敗させています。

有名で偉い先生と呼ばれる人たちも、女性問題を起こして
家族や周囲から信頼を失っていく様子を見てもわかるように
自分を自制できずにいるのです。

なんと風俗産業と言われるビジネスは今は6兆円とも言われており
一番、儲かっているのです。

昨今はどんな傾向があるかといいますと、男女関係が優先的で
子どもを迎える心はむしろ、軽視されます。

本来、子どもは純粋な愛の結実であり、周囲から大歓迎を
受けて迎えられるべきなのです。

子どもは本来そのように生まれてくるべきなのに、事情があって
それがそのようにいかないとき、その子供の人生は非常に
困難になり、深刻な問題を持ちやすくなります。

これは最も不幸なことであり、深刻な問題に発展します。

子どもの存在は実に大きなものです。
おそらく親にとっては子どもは世界一なのだと
思います。

おじいちゃん、おばあちゃんも孫を、ものすごくかわいがるでしょう?

孫のすることはなんでも「いいよ。いいよ。」と言います。
やることなすことすべてが愛おしくて、かわいくてならないのです。

それを考えても、子どもに対する性教育はもっと
崇高な学びであってほしいですね。