ある過去の出来事
あるはずみで、災難を受けることってあります。
それは私がお産で日本に帰り子どもが無事生まれ、
3か月ほどたって
アメリカに入国するときに起こりました。
私たち家族は全員が永住者です。
ところが入国審査の時、一人の審査の意図的なミスで末娘だけを
旅行者として入国をさせたのです。
通常はそういうことはあり得ないのですが、弁護士に後で相談すると
「空港では人種差別的ないじわるをされることがある、
あなたたちはとても不運な人たちだ。」
と言われたんです。
それ以来、娘はずっと違法滞在者という立場で過ごさなくては
なりませんでした。
弁護士に高額なお金を払ってあれこれと審査を通り抜け
10年もかかりました。
それまでアメリカを一歩も出ることはできませんでした。
私はこのことがなぜ起こったのか?
と考えてみました。
簡単に永住権は取れるものではありません。
しかし、当時アメリカ永住権抽選プログラムというのが
あってなんとなく申し込んだら当たってしまったのです。
主人も私も安易に手に入れることができたのです。
アメリカにいる友人もこの永住権がないばかりに苦労している
人がたくさんいます。
永住権を持って何不自由なく生活していることに対する
感謝の心が足りませんでした。
失ってみてしみじみと感じる当たり前の幸せ
何事も失敗してもそこから「多くを学ぶことができた」
と受け止めればそれはすでに失敗ではなく、よき経験となります。
そのような意識は生きる上でとても大事なことです。
たとえ想定外のことが起こっても
それは「経験」でしかなく決して失敗ではないのです。
それは夫婦にも言えます。
当たり前に会話が出来る。
夫婦として一緒に行動ができる。
気持ちをふつうに分かち合える。
こんなごく当たり前のこと、日常のことに深い感謝を持って
生活していくこと・・・。
ふっと忘れがちな感謝できる小さなこと。
それを見落としていた過去に気づくことです。
日頃、どんなことに感謝するのか?
不安や恐怖にかこまれるのは簡単です。
感謝の心が少なくなるとどんどん不安が増幅します。
ありきたりのことに感謝していくことは、ちょうど人生の
局面、局面に潤滑油を注入するようなものです。
人生に王道はありません。
ひとつひとつの出来事から何を学び、そこからどう人生の舳先を
変えていくか?
それができれば人生は失敗はないのだ。ということに
気が付くはずです。
何かを学ぶことができればそれはすでに失敗ではなく
進化のための通過体にすぎません。
これさえ出来ていれば、よい引き寄せがどんどん起こります。